沖縄移住応援WEBマガジン「おきなわマグネット」

人生の主人公であり続けるために 「仕事、ときどきインド」、肩書に縛られない生き方を見つける〜カメラマン・鈴木サラサ〜

水澤 陽介

2020.02.19

沖縄で引っ張りだこの鈴木サラサさんは、フリーランスのカメラマン・ライターとして主にロケーションフォトを撮影し、その傍ら、自分らしさを表現するべく、ライフワークとして定期的にインドへ行き、作品制作のため撮影を行います。

“ひとり旅”を頻繁に楽しみつつ、現地で得たインスピレーションのままに--詩と写真で表現する写真展を開催したりとバイタリティあふれるサラサさん。そう聞くと、誰もが憧れる自由奔放な生き方を選択しているように見えますが、実は仕事でがんじがらめになった過去があるといいます。

アイドルやミュージシャンを経てもなお、「思い描いた自分になれずに、苦しんでいた」と語るサラサさんから、悩み苦しみの先に見つけた、自分らしい生き方を聞いてきました。

写真と人、海への恩返しがつながる

【profile】鈴木サラサ
タップダンスやタレントなどの表現活動を経て、突然インドにはまってしまい、カメラを片手に一人旅に出る。現在はカメラマンをしながら、世界の神様と酔っぱらいに会いに行く旅をモットーに活動中。ウェディングやファミリー、ニューボーンフォトなど人を撮るのが大好き。泡盛が好きすぎて2017年に沖縄移住を果たす。

 

水澤

去年の夏、サラサさんと撮影をご一緒したとき、被写体と積極的にコミュニケーションを取っているのが印象的で。多忙を極めているなか、珍しいのでは。

サラサさん

レンズを通して被写体を見るとすぐにその人のことが大好きになって。「可愛い可愛い、いいね」って自然とコミュニケーションが増えますね(笑)ただ、2019年はとくに件数が多くて、撮影現場を1日で5件回って、深夜にレタッチして、また朝から撮影しにいくスケジュールで。2020年は件数を減らそうと思っています。

水澤

オンとオフの境界が無くなっていますね。その合間を縫って、海外に一人で行き、撮影にしいくんですよね。

サラサさん

インドやモロッコを中心に、一人で何ヶ月も旅をしながら写真を残しています。とことん私の感情と向きあいたくて。

今、この瞬間の感情を詩として作品にしたくてかな、旅にでかけるのは。

 

水澤

自由な生き方……仕事と旅、両立する働き方は沖縄に来てすぐにできたのですか?

 

サラサさん

いえ、沖縄に来たときは仕事さえ決まっていなくて。

 

水澤

えーーー!!

 

サラサさん

沖縄に来る前まで東京では、スタジオ撮影や個展を行なっていましたが、沖縄でのカメラマンの仕事が何も決まっていなくて。決まらなくても、海の近くに住みたいから接客業のアルバイトをしようかなと思っていました。ただ、沖縄に来てから撮影を兼任するライターのお仕事が舞い込むようになって。

 

水澤

意外。

 

サラサさん

取材先としてお店やホテルに伺うことが多く、「料理の写真を撮ってほしい」と依頼が増えていきました。はじめ、詩を載せるものとして写真を撮りはじめてから、依頼者や被写体とのコミュニケーションが楽しくなって、どんどん人を撮ることが好きになっていって。

その中で、離島にも行かせてもらい。大好きな海を撮りつつ、人物を撮影できるのがローケションフォトだと知って、シフトしていきました。

 

【提供写真:サラサさんがこよなく愛す沖縄の海でのロケーションフォト。】

 

水澤

それほど、沖縄の海が好きだった、と。

 

サラサさん

海に救われたんですよ。

 

水澤

海に?

 

サラサさん

そう、海に。高校を卒業した頃かな。表現したい自分と特別な存在になれない自分との間で悩み、ピークに達して、心の病気を患ってしまったんです。どん底を抜け出そうと短大で芸術を学ぼうと思っても講師と折が合わずやめてしまう。

そんなとき、友達が「江ノ島で、海の家を手伝ってくれない?」と誘ってくれたんです。暇だしと思って、始発から終電まで江ノ島に行き、波の音を聴きながら働いていました。すると徐々に持病が良くなっていき、代わりに海が恋しくなる病にかかった(笑)いつか海に住みたいなとずっと考えていて、2017年に海がきれいな沖縄かバリの2択で迷い、家族とも頻繁に会いやすい沖縄を選びました。

「被写体と私」自分らしさを最大限に表現する写真

 

水澤

東京でも撮影してきたから、すぐに沖縄でカメラマンとして生計を立てようと思っていなかったのが驚きです。

サラサさん

カメラマンとして稼ぎたいのではなく、写真を通して大切な人たちを幸せにしたい気持ちが一番にあって。だから、たとえ稼げなくても写真は一生続けたいし、大好きだから食いぶちにはこだわりがないんです。

水澤

カメラマンをしているのかわからなくなってきました。幸せを届ける、伝教者に近いような。

サラサさん

ふふっ。もともと、幼少期にタップダンスと出会えたことが大きくて。引っ込み思案だった私が、ステージ上では自分を解放できる。沖縄に来る数年前までは、東京で芸能事務所に所属して、アイドルやお芝居、ミュージシャンなど表現できる場を探し求めて…ちなみにダンスボーカルユニットでメジャーデビューもしたんですよ(笑)

 

【提供写真:アイドル、バラエティでのレポーター、舞台といった人前で行う表現方法にチャレンジしてきた鈴木サラサさん。】

 

水澤

えっ、すごい。

サラサさん

ただ、テレビも舞台も、大人たちが創作する作品のうちの一人でしかなく、私でなくてもいいんじゃん、これ。私の表現かな、と内から出てくる問いを答えられずにいました。だから、いつも緊張をしていたし、自信がなくて。

そんな中、スナップ写真が好きで撮っていたら、芸能つながりでアイドルの宣材写真を依頼されて、撮影しているうちに「この子たちを撮りたい」と、ふつふつとこみ上げるものに気づいたんです。

 

【提供写真】

 

水澤

他者を通して、自分を解放できたのですか。

 

サラサさん

たとえ人見知りの私でも、ファインダーを通せば緊張せずに写真を撮れると気づき、撮影していくうちに楽しくなって自信を持てるし。そこから、六本木や赤坂のギャラリーなどで写真展を開かせてもらったり、写真集を出版したり、出会った人たちからお仕事の依頼へとつながったりと。

組織に入るのが先?個人で始めるのが先?

水澤

きっかけを伺うと肩書きに困ったりしていませんか?一般的なカメラマンっぽくないというか。

 

サラサさん

カメラマンになろうと思っていない。26歳で芸能界を離れてから、私に撮影の依頼してくださる方たちがいて。想いを裏切りたくなかったから、このままでは期待に応えられないかもと思い、スタジオに入ったんです。

でも、ライティングなど技術を0から学ぶにあたって、毎日コテンパンにされてしまって。これまで独学で、しかも感性で撮影してきたので、居残りで練習する日々でした……。

 

水澤

順風満帆ではなかったと。

 

サラサさん

はい。当時を振り返れば、個展をきっかけに写真集を発表できて、しかも売れたので。浮かれていたかもしれません。

カメラマンとしてお客さんが絶対良いと思えるものを、決められた場所とタイミングで撮ることが大切で。もっと素直にいえば、カメラマン共通の感性を求められるんです。当時の私は、自分の感性だけに頼ってたから、「あーあ。私、下手くそだ」と何度も自信喪失してしまって……。

 

「はぁー」と当時を思い出し、うなだれて横たわる。

 

水澤

でも、写真を嫌いにならず、心も折れなかった。

 

サラサさん

個展を先に行なっていたのが支えとなりました。私の感性を、表現を評価してくれる方たちが居るんだ、とね。

「ここではダメだけど、外では応援してくれる人がいるんだ」と自信を保つことができたんです。もちろん、撮影における基本技術があればこそ、応用もきくのですごく感謝しています。

 

水澤

好きなことは行動しておくことが大切なんですね。

 

サラサさん

はい。写真を勉強したい方たちから「カメラマンになりたい。スタジオで勉強したほうがいいですか?」と相談をいただきますが、私は一旦天狗になった方がいいと加えて伝えています。

天狗のなりかたは様々で。SNSを使って、インスタグラムなどで自分なりの世界観をつくって、応援してくれる人たちがいることを確信してから、スタジオで技術を磨いたりすると長く続けられると思います。

◎鈴木サラサさん 公式インスタグラムはこちら

好きならば苦に思わない

水澤

これまでの紆余曲折を知らない方たちにとって、インスタを見てサラサさんみたいになりたい、海外に行きたい、と羨ましがる人たちも多いのでは。

 

サラサさん

「好きな場所にいて、それが仕事になるなんて…いいな」って友達からもめちゃくちゃ言われます。

 

水澤

そのとき、どう伝えていますか?

 

サラサさん

やりたいならやろうよ。どんなシチュエーションであっても楽しい、面白いと思えるならはやったほうがいい。

正直、華やかなイメージとは違って、過酷なときだっていくらでもあります。撮影中、急に雪が降りはじめてもあたりまえですが、ベストショットを撮影するために、凍えながら何時間もその場で待ったりするわけで。でも、それが嫌だって思う方たちもいる、その差は本当に好きかどうかなんです。

 

水澤

いつ頃からそう思えたの。

 

サラサさん

そもそも、好きでなければ続かないとわかったのが4年前で、そして自分のポリシーに反するような仕事はせずに、人や料理だって被写体を愛せるから撮れる、愛せないなら撮れない、シンプルな考えに行き着いたのが去年。

沖縄に暮らしはじめたばかりは、仕事がなかったから私でなくてもいい仕事を安く受けて、楽しくないと気づきました。だから、自分に嘘をついて撮影するぐらいなら……今ならヤクルトレディをします笑。

※サラサさんのヤクルトレディ体験はこちら。

「全細胞が活性化して、感情が喜ぶこと」表現者としてのこだわり

サラサさんはロケーションフォトと作品アカウントを分けている。(2020年1月現在)

 

水澤

これまでで、サラサさんは自分軸を明確に持っていると感じていて。その軸を伸ばすために大切にすることはありますか?

 

サラサさん

まず、ロケーションフォトのような撮影依頼と作品とは明確に分けています。究極的にいえば、カメラマンって接客業と定義していて、お客さんが100パーセント満足するものを提供し続けることが大事。

カップルなら二人が、ご夫婦ならお子さんも一緒に笑顔で居られる瞬間を。さらに、女性は肌が透き通って映るような、幸せな瞬間を表現しています。

◎ロケーションフォトアカウントはこちら

 

【提供写真】

 

水澤

 個人の作品では?

 

サラサさん

今しか撮れないものを、その場の感情でしか撮れないものを撮ろう、と。忘れたくない言葉を詩にして、その詩にあう景色を残していきます。

 

水澤

インドやネパールでの写真がメインですよね。海外のほうが比較的に見つかるものですか。

 

サラサさん

インドほど見つかるところはないですね。他にもモロッコやネパールなど、とはいえすべての地域がそうではありません。

過去に、スペインを横断したとき、残したい詩が思い浮かばずに撮影できなくて。でも、ヨーロッパを南下していき、モロッコに到着したらすぐに残したい詩が見つかった。

 

【提供写真】

 

水澤

その違いはなんでしょうか。

 

サラサさん

人でしょうね。とにかく生命力が強い、そして生きる力があふれていて、輝いてみえるんです。あと、きっと前世はインドにいたんじゃないかな(笑)

 

サラサさん

はじめて訪れるインドの寺院で急に涙がこぼれたり、心が震えたり。悲観的な気持ちではないけど、内側から喜ぶような感情、ここだみたいな。

一人で何ヶ月も旅をしながら、とことん私の感情と向きあい、全細胞が喜んでいる瞬間。それが詩となり、作品になっていきます。インドもそうで、根本には作品をつくりたい欲がなくなると、本当の気持ちに気づけなくなって、運が悪くなる。仕事にも良い運がまわってこないと思うんですよね。

 

インド旅について伺っているときが一番楽しそうでした。

 

「ゆくゆくは、自宅兼撮影スタジオをつくりたい。お客さんはもちろん、家族や友人と過ごす時間をもっと大切にできるから」

サラサさんの目には嘘偽りもなく、また内側からの声に蓋をせずに発する言葉たちには彼女なりの生命力が宿っていました。

インターネットやSNSから流れ込む、何千何万もの声たちと接しながら現代を生きる私たち。本当に大切にしたいものとは何かを考える時間さえも持つことさえはばかれます。そんな中で、私と、私の大事な人が、もし企業内に、クライアントに、家族や友達にいるなら、もう幸せなんだとハッと気づかされるひとときでした。

 

<取材・文:水澤陽介/撮影:蓮池ヒロ>