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沖縄県内のXLARGE、X-girl、MILKFED.、UNDEFEATEDなどのアパレルショップを5店舗とSODA BARを運営する株式会社トライラボ代表の照屋健太郎さん。
東京では、XLARGEやX-girlを扱う株式会社ビーズインターナショナルのPRやコラボ企画の担当として活躍し、5年前に沖縄へUターン移住されたのだそう。
沖縄へ帰ってきてからも、ファッションシーンだけでなく様々なシーンを横断的に大活躍。
私、ライターのシロマは、照屋さんが関わるイベントに全て足を運び、インスタグラムを毎日チェックするほどの大ファン!いつか必ずインタビューしたいと思っていたところ、この機会をいただいてドキドキです(笑)
そんな照屋さんに、移住したときに感じたことや、その目で見る沖縄の未来について伺いました。
今回は非常事態宣言後ということで、Zoomでのインタビューを行いました。
会いたい人と行きたい場所に全てのエネルギーを使った東京での20代
沖縄県生まれ。2001年にXLARGEやX-girlを扱う株式会社ビーズインターナショナルへ入社、ブランドPRやコラボレーション企画・発案を担当し、日本のファッション最前線である東京で活躍。
2015年に沖縄へUターン移住。XLARGEやX-girl、MILKFED.、SODABAR、UNDEFEATEDを沖縄で運営する会社トライラボの代表を務める傍ら、泡盛残波やミッチェル&ネスの日本公式アンバサダー、そして自身が世界中を旅して集めたアートやおもちゃのコレクションを展示した「LIBERTY FORCE展」を成功させるなど、沖縄のファッションやアート、エンターテイメントのシーンを熱く盛り上げています。
お金がなかった20代の頃、東京で1番という自負があるほど、会いたい人に会いに行くことや、行きたい場所に行くために頑張ってお金と時間を投資しました。今でもそれによって得られた体験が僕の宝物になっています。
東京で1番!そこまで、会いたい人と行きたい場所にエネルギーを向けられた理由ってなんですか?
自分が好きなものやそれを好きな人が集まる場所に行くと、同じような趣味を持つ人と友達になれて、そこで好きな音楽やファッションの話をすることが、なにより楽しかったからですね。
一般的な大学からファッションの世界に入った僕が、同じような趣味を持つ仲間にもっと出会うために、とにかく頑張って時間とお金を惜しまず過ごしたのが東京での20代でした。
照屋さんのインスタグラムを見てたら、すごく色々な人と友達ですよね!
今の若い人たちなら、SNS経由で憧れる人や多くの人と友達になる形も多いかもしれないけど、僕の場合は全く逆でした。
逆というと?
僕が20代の頃にそうやって動いて、各分野で活躍している方々と友達になっていたことが、SNSが普及し始めた30代に可視化されました。
照屋さんの友達が誰なのかSNSを通してみんなが分かるって感じですね!
まさにその通りで、社内でもこれほどたくさんの人と繋がっているのならということでブランドPRやコラボ担当の役割を任せてもらえるようになったんです。
20代で好きを突き詰めてエネルギーを使ったことが、花開きましたね!
東京で出会えた沢山の仲間が今でも財産です。その当時は、好きなものをとことん追いかけていただけですが、今となっては人生を刺激的で豊かなものにしてくれる仲間の存在に本当に感謝しています。
今20代を生きているひとりとして、すごく見習いたいです!でも、それは東京にいたからこそできたことなんでしょうか?
沖縄に帰ってきてからも、面白い人にはたくさん出会えているので、今は拠点をどこに置くかは重要ではない時代だと感じます。
また、SNSもあるので僕の20代の頃とは全然違うし、オンライン、オフライン問わず、とにかく好きなものに惜しまずエネルギーを向けて生きることが大切だと思います。
沖縄にストリートファッションへの入り口を作りたい
東京には何年ぐらいいらっしゃったんでしょうか?
約18年、東京にいました。沖縄で生まれてから高校までの18年は沖縄にいて、大学進学から就職で18年東京にいました。移住したときは、沖縄と東京で過ごした時間がちょうど半々でしたね。
18年も東京にいた照屋さんが、沖縄にUターン移住したきっかけは?
いつか結婚して自分に子供ができたら、自然が豊かな沖縄の環境で育てたいと考えていたので、妊娠が分かってから2ヶ月後には移住を決めて動きました。それで移住したのが5年前の3月です。同年5月末にUNDEFEATED沖縄店をオープンして、7月に第一子となる娘が誕生しました。
その頃から今までTRYLABを設立したり、XLARGEやMILKFED.などのアパレルショップからソーダ専門店のSODA BAR那覇店をオープンしたりと目まぐるしく活動されていますよね!この勢いで店舗を展開した理由はありますか?
僕はストリートファッションに恩恵を受けて人生がより豊かになったと思っているので、出来るだけ多くのショップを展開して、沖縄の若い世代にもストリートファッションに触れる入り口を作れたらいいなという想いがありました。
来店したお客様が店舗空間の中で、ファッションを通してアートや音楽に触れる時間が、人生を楽しむ小さなきっかけの1つになってくれると信じています。
実際にその身で体感するのは重要ですよね!照屋さんの20代を表すようで素敵な想いだと感じます!
世界から注目される沖縄へ!
照屋さんがお子さんの誕生を機に移住してから5年経ちますが、その時から考えの変化などはありましたか?
沖縄へ帰ってきた頃からずっと、「沖縄から世界へ」という言葉をよく耳にしていて、なんだか違和感があったんです。でも最近「世界から注目される沖縄へ」という表現を思いついて、個人的にはこの言葉の方がしっくりくるなと気付きました。
「世界から注目される沖縄へ」ですか。僕は最近まで大学生だったのですが、沖縄の大学でも”グローバル人材”、”海外留学”という言葉が飛び交っていて、いつか世界に出ることが良しとされていたのと対極のように感じます。
もちろんそのようなグローバルな視点も大事だと思います。ただ、沖縄においていえば、先人が『沖縄から世界へ』というキャッチフレーズを掲げて起こした発展を土台に、これからは『世界から注目される沖縄へ』という視点で、地元を活性化できる時代になっていると感じるんです。
インターネットが発達して、どこにいても情報発信できる時代だからこそ、沖縄にしかないモノやカルチャーを育てていきたいですね。
確かに、時代に合わせて沖縄の魅力の展開も形を変えていく必要を感じます。沖縄にしかないモノというと、昨年3月にオープンしたXLARGE那覇の壁画アートは国際通りの新名所になりましたね!
あの壁画はアメリカの大御所アーティストのOG SLICK氏に直接描いて頂きました。ストリートカルチャーの背景にある、本場のグラフィティーアートの迫力や美しさをXLARGEを通して感じていただきたいという想いで、構想の段階からとても楽しめたプロジェクトでした。
壁画の中には「ハイサイ」という言葉も描かれていて、まさに沖縄だけにしかないモノとなったのも嬉しいです。
沖縄ならではの壁画は世界中のアートファンも沖縄を注目するきっかけになりそうですね!アートの世界が今とても注目されているし、これからが楽しみです。
沖縄でのアートというと、昨年12月、沖縄に初上陸したハワイ発祥のアートイベントPOW!WOW!(パウワウ)も世界から沖縄が注目されるきっかけになったと思っています。
お!僕ももちろん行きました!!
そのイベントでは世界中からアーティストが集まって世界で沖縄にしかないアート作品を各地に完成させました。アメリカのカルチャーとミックスして根付いている沖縄の風土と壁画アートの文化はとてもマッチすると考えているので、これからも沖縄の壁にアートを広げていく活動を応援していきたいと思っています。
そんな沖縄で生まれ育っているのが、誇らしくなってきました!
地元沖縄の文化に国内外のカルチャーをミックスして、沖縄から世界に胸を張って誇れるような新しいムーブメントを作っていきたいですね。
照屋さん自身も、沖縄が誇る「泡盛残波」とNBAのライセンスウェアを作るアメリカの老舗ブランド「ミッチェル&ネス」のアンバサダーに就任されていて、まさに沖縄と海外をミックスしたカルチャーを体現しているように感じます。
ありがとうございます!大好きな2ブランドにアンバサダーとして関わることができて、とても楽しく勉強させて頂いています。これからも興味があることにはジャンル関係なくチャレンジを続けていきたいですね。
アートとおもちゃの展示会「LIBERTY FORCE展」
個人的に、照屋さんが昨年開催したアートとおもちゃのコレクション展「LIBERTY FORCE」はものすごい衝撃でした!ハルクバスターもすごくでっかくて!!(笑)
ありがとうございます。昼間は人通りが少ない場所にあるギャラリーでしたが、10日間で延べ2535人の方にご来場いただきました。初めてのコレクション展で準備段階から大変だったんですが楽しい経験になりました。
2535人も!僕が行った時もたくさんの人が訪れていました!個展の開催を決めた理由は何ですか?
僕が国内外で長年収集してきたアートやおもちゃのコレクションは沖縄では見る機会の少ない貴重な物が多いので、初めて個展を開催したら皆さんにも楽しんで頂けるんじゃないかと考えたのがきっかけです。
なるほど!今回はコレクションだけでなく、「アベンジャーズ」に登場する等身大ハルクバスターも展示されていましたよね!
高さ3メートル、総重量660キロのハルクバスターを会場に設置するプランを思い付いてからは、当日まで僕もワクワクが止まりませんでした(笑)準備にも朝から沢山の方が協力してくれて、本当に感謝しています。
設置のお手伝いに行けばよかったと今でも後悔しています(笑) 個展タイトルの「LIBERTY FORCE」にはどんな意味があったんですか?
「LIBERTY FORCE(リバティーフォース)」は「自由の力」という意味です。
”自由”を表す英単語には”FREEDOM”や”LIBERTY”があって、フリーダムは単に何事にも規制されていない「自由」の意味で、リバティーは外部からの圧制、抑圧などから逃れた状態の「勝ち取った自由」という意味があります。
なるほど!
僕自身も、好きなことを大事にして「勝ち取った自由」があったから、世界中を旅して沢山のオモチャやアートを収集することができました。
個展では僕自身の趣味の世界を体感してもらうことで『来場してくれた皆さんも、LIBERTYを享受しながら好きなことに挑戦してほしい!』という想いを込めていました。
引き継がれていく「LIBERTY FORCE」のメッセージ
個展会場では、進路に悩んでいる人や、やりたいことが見つからずに悩んでいる若い人たちが予想以上にLIBERTY FORCEに共感してくれました。
『やっぱり好きなことをやるって大事ですね!ありがとうございます!』って、僕と話をしてやる気や勇気を貰って帰ってくれた人が多かったのが印象的だったので、個展という形に関係なく、”LIBERTY FORCE”というメッセージで、少しでも気付きを感じてもらえるような活動をこれからも続けていきたいなと考えています。
昨年の個展からメッセージだけを抽出して展開していく形になるんですね!
そうです!昨年は個展という形でしたが、もっと違う形でLIBERTY FORCEを届けるための活動をしていきます。
例えば、ミュージシャンならLIBERTY FORCEの想いを歌にして伝えると思いますが、僕が得意な方法を考えたときに、ファッション的発想でLIBERTY FORCEのマークを作り、僕の考え方のシンボルとして共感してくれる人を増やしていきたいと思っています。
その背景にはどんなことが?
僕自身も20〜30代の頃は、好きなことをやり続けていく中で色んなことに悩みましたし、今の若い人たちもきっと同じように悩んでいるはずです。
自身も沢山の方々に助言やサポートをいただくことで、不安や悩みを乗り越えて今日まで好きなことを続けることができました。これからは、僕自身が若い世代へサポートや応援をしていく時期だと感じています。
好きを突き詰めた20代や30代を過ごした照屋さんだからこそ出来る活動ですし、説得力がすごくあると思います。
ありがとうございます。どのような形でそれが具体化するかは色々と計画中ですが、自分のペースで準備をしていきますので楽しみにしていてください!
すごく楽しみ!!夢に向かって頑張る友達にも、LIBERTY FORCEを伝えたいな。僕も照屋さんの年齢になったときに、さらに若い世代へ受け継いでいきたいです!
まとめ
東京のファッション界で刺激的な時間を過ごした後に、沖縄へUターン移住した照屋健太郎さん。
沖縄に帰ってきてからも、ファッションのシーンを超えて、様々なジャンルで多くの人へ刺激を与える活躍をされています。強いエネルギーを持って好きなことに向き合い続けることで、素晴らしい人生を歩んでいる方なんだと感じました。
どこにいても自由の力を信じて進む照屋さんの、LIBERTY FORCEなエネルギーが広がっていく世界を想像してしまいます。