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皆さん初めまして。おきなわマグネットでライターデビューをした東 由希惠です。
沖縄出身で、東京に誰一人として知り合いがいない中、夢を叶えるために単身で上京し丸7年。地元沖縄に戻ってきて10年目になります。0から環境を作ってきた私が、沖縄移住をした方のリアルな生活をお届けすることで、これから沖縄移住を考えている方の背中をポンと押せるような、今よりほんのりよい暮らしにつながるヒントになる記事になれば幸いです。
今回ご紹介するのは、沖縄の墓地にぽつりと誕生し、わずか数年で県民を虜にしてきた、焼きたてパンとケーキの店「Boulangerie Pâtisserie いまいパン」とオーナーの今井陽介さんです。
コンクールに受賞した焼き菓子!常時70~80種類のパンを提供する「いまいパン」
お店に入る前からほんのり焼けたパンのいい香りが漂う「ブランジェリーパティスリーいまいパン」は、世界遺産の識名園から徒歩5分程の距離にあり、小銭を握りしめたちびっこから営業途中と思しきサラリーマンまで訪れます。
おじぃおばぁ、ちいさな子供を連れたお母さんと老若男女問わず愛されて、さぞ歴史が長いのだろうなと思ったら、なんと2019年11月で創業7周年。
調理パンや菓子パン、食パンやハード系のパンなど常時70~80種類のパン。そこにオリジナルケーキや焼き菓子も合わせると、約100種類もの商品が店内にずらりと並びます。フランスで修行を積んだ今井さん曰く、フランスではパン屋さんにケーキなどのスイーツがあるのが普通だそう。
(まるで宝探しだ)
(どれにしようかなぁぁ)
(お、これおいしそう…)
チョコ好きにたまらない濃厚さ。クロワッサンショコラ(190円)です。
お店の歴史が長そうだと思った理由は、コンクール受賞作品が多いからなんです。
2015年、老舗の丸塩せんべい屋とコラボした琉球せんべい「識名園るぅまんぺぃ」の那覇市長賞にはじまり、2017年度の全国菓子大博覧会において「名誉総裁賞」を受賞しています。
つまり、お菓子の全国No.1です!!
2016年には、琉球国王のティータイムクッキーが那覇市長賞最優秀賞。2017年度には全国菓子博覧会で金菓賞に輝くなど、次々と受賞作品を生み出しているのです。
こちらは単品別売りVerのサブレとクッキー。琉球世界遺産Sweetsシリーズとして第3弾商品まであり。
コンクール出品を考えて意欲的に商品を生み出しているのかと思いきや、意外な答えが返ってきました。
「縁や流れで、たまたまそうなっただけなんです」
いまいパンのオーナー今井さんの人生をたどってみた
もともとは三重県出身。学生時代は茨城県で過ごし、東京の製菓学校卒業後、銀座の有名なパン屋さんに就職したそうです。26歳でかねてから考えていたパン修行のために本場フランスへと渡り、帰国後、29歳の時に師匠と一緒にマレーシアへ。
現マレーシア首相のマハティール・ビン・モハマド氏が大の親日家。日本で作られるパンの大ファンであり、マレーシアに日本風のパン屋さんを作りたい!との首相の話を受けて、パンづくりとパン屋の経営などに関する技術伝承のために、日本代表として師匠にお供しマレーシアへと渡ります。
言葉はおろか、文化や風習、働き方などが全く違う現地の方とのやりとりは、とても骨が折れたそう。住んでいるうちに、温かい気候やおおらかな人たちの空気感に触れて、このままマレーシアに永住するような気がしたそうです。
徐々に現地での仲間や友人も増え、当時のマレーシアでは困らないほどに稼げるようになり、毎晩仕事が終わった後は、飲めや食えやの大盤振る舞い。
そんな今井さんに「このままじゃ、君はダメになる。落ちてく一方だから日本に戻りなさい」と喝を入れたのは、マレーシアに渡ってほどなく知り合ったマレーシア在住の日本人作家・南雲海人氏でした。もともと根が真面目で責任感の強い今井さんを知る南雲氏さんは、その頃、今井さんに会うたび心配していたそうです。
そんな頃、仕事で一時帰国することになり、東京のとあるパン屋へふと足を向けます。
フランス留学時代に知り合ったパティシエの修業をしていた沖縄の女の子が「東京で働いてると誰かが言ってたな」と思い出して会いに行き、縁とタイミングがはまれば物事はうまく回るもの。その後、周囲からの温かい後押しもあり、この一時帰国をきっかけに2人はお付き合いを始めたのです。
彼女との将来を考え、34歳でマレーシアから帰国。マレーシア滞在5年で5店舗を立ち上げ、あんなに稼いだはずのお金はほぼ手元には残っておらず、貯金もほぼゼロの状態だった、と言います。
彼女と結婚したら2人で開業したいと考えていた今井さんは、日本のパン屋事情を学ぶために大手のパン屋専門コンサルタント会社に就職。残業もいとわずに1年間みっちりと働き続け、そのかいあってか、底をついていた貯金も回復します。
その翌年、35歳の時にご夫婦で沖縄へ移住。その後、沖縄出身の彼女と結婚して沖縄でパン屋さんを開いたのです。
「まさか沖縄に住むことになるなんて…。笑」
沖縄といえば、弟さんの結婚式や旅行で数回しか訪れたことがなく「海が青くてきれいなところだな」くらいの印象しかなかったそう。
彼女のご両親へのご挨拶も含め、実質4回目の沖縄滞在を経て沖縄に移住。その後、7~8カ月を要して、いまいパンをオープンさせました。
県内各地で100カ所ほどの物件を見て回ったものの、立地、家賃、店舗面積、駐車場などの条件があう場所が1つも見つからず、義父が営んでいたお店を使わせてもらうことになり、いまいパンが誕生しました。
沖縄移住と「いまいパン」が誕生してからのこと
もともとの人見知りも手伝い、なかなか地元の人との距離を縮められず、戸惑いやもどかしさを感じる日々。移住当初、沖縄には数名の知り合いしかおらず、1年間は人との輪も広がらず、とても苦しかったんだそうです。
そんななかでゼロからお店を作り上げるプレッシャー。家族に負担をかけたくない。でも思うように軌道に乗らないお店。そして、なかなか広がらない人との繋がり。
開店当初は、比較的に価格を抑えた安くておいしいパン作りにこだわっていましたが、改良を重ねて「価格」よりも「おいしさ」のほうにシフトした、今のスタイルに行き着きます。意外にも、そのほうがお客さんの反応が良かったそうです。
オープンから3年目までは赤字だった時期もあり、沖縄の物価を考えてなるべく価格を押さえた安くておいしいパンの販売を試みます。しかし、沖縄特有の気候が関係するのか、夏場はパンの売り上げが落ち込んだそうです。
天候に左右されず、長期保存のできる商品の開発をしようと考えて行き着たのが、「焼き菓子」の開発でした。オープンしてから4年目、こうして「焼き菓子」が誕生したのです。
ちょうどその頃には地域の人たちとの距離も縮まり、点と点が結ばれ始めます。
世界遺産「識名園」という素晴らしい琉球庭園があるにも関わらず、名物となるような商品がないのはもったいないと常々感じていたことが、老舗の丸塩せんべいとのコラボ商品、琉球せんべい「識名園るぅまんぺぃ」の誕生につながるのです。
「世界遺産 × 地元コラボ × 地産地消」をテーマに次々と新たなお菓子が誕生。
オープンから丸3年はいろんなことを考えて試行錯誤の日々。そこから次のステージに上がって、少しずつ循環し始めた印象があったそうです。自治会の方と打ち解けたきっかけを聞くと、それは自然な流れだったそうで「一番は、やっぱり泡盛の力じゃないですかね」と笑顔で話す今井さん。
「先輩同士だと、『島ぁ~(泡盛のこと)飲め飲め』するけど、僕には『泡盛のむか?』と声をかけてくれて、それが他人行儀のような気がして最初は少しだけ寂しくて。いつからか僕にも『島ぁ〜飲むか?』と言ってくれるようになって、何だか嬉しかったんですよね。
仕事も厳しい状態が続き、気兼ねなく話せる知り合いもあまりいないなか、なんとか壊れずに済んだのは、愛する妻の励ましや支えてくれた家族の力。沖縄の気候も助けてくれたと思います。ここ数年は、地元の方にも自分たちの作るパンを親しんでもらえている感覚があり、やっとスタートラインにたてた気がしています」
沖縄の好きなところは「気候・人・食」だそう。
「食材の豊富さもさることながら、沖縄の食事が本当に合っていて大好き。くんぺんやムーチーなど旧暦の行事毎にある歴史深い沖縄の食文化も素晴らしいですよね。食が合うところは、その土地に住むのも相性が合うから。極限までやりつくせば、差し伸べられる『救いの手』ってあるなんだなと実感しました」
今井さんが言うと説得力が増す。
今井さんからは、こんなメッセージをもらいました。
「追伸。言葉足らずでいつもうまく言えないけれど、過去も今も、本当に助けられていて、とてもとても感謝しています。いつもありがとう。これからもよろしく。愛する妻へ」
そして、最後にこの言葉で締めたいと思います。
「沖縄でパンを作っているだけで幸せです」by 今井陽介
那覇市繁多川5-6-8 1F
営業時間:11:30 am – 19:00pm
定休日:毎月1・2・11・12・21・22・31日