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60年前、岡本太郎は沖縄に恋をした! 自分自身を再発見するために、ドキュメンタリー映画「岡本太郎の沖縄」とつながるストーリー

水澤 陽介

2018.10.11

「それは私にとって、一つの恋のようなものだった」

 

そう語るのは、かの芸術家の岡本太郎さん。

「現代のわれわれが見失った日本の息吹を、ここ沖縄の民俗が脈々と伝える」と、1959年と1966年の2度、沖縄へ訪れた岡本太郎さんは著書「沖縄文化論」でこう綴られています。

 

沖縄に移住して、早5年目。わたし、ライターの水澤にとって、はじめて訪れた”観光としての沖縄“を経て、いま”暮らしの沖縄“の最中です。

 

しかし、岡本太郎さんが語る「忘れられた日本」をまだ見つけることができずにいます。それは心象なのか、それとも目の前に転がっている物質なのか……

太郎さんとはもうお会いすること、真意を伺うことはできません。でも、その手かがりを探しに、918日に那覇市の桜坂劇場で行われたドキュメンタリー映画「岡本太郎の沖縄」の試写会へ足を運びました。

 

 

「岡本太郎の沖縄」とは、もう一度、太郎さんと沖縄を彷徨う旅に出るSTORY
太郎さんは、過去に自分自身とは何かを探しに日本各地へ赴き、最後に辿りついた沖縄で「自分自身を再発見した」と言います。

本作では、太郎さんが沖縄で辿った道のりを、監督の葛山喜久さんと製作者陣が歩みながら、「自分自身と出逢う日々」を追想したドキュメンタリーです。

本作をつくるまでに至った経緯や、なぜ映画監督の葛山さんはここ沖縄を舞台にしようと考えたのか。「本当の沖縄。紡いでいき、つないでいく文化にたどりついた」その真意や、本作をともに作ってきたプロデューサーで、沖縄テレビ放送の山里孫存さんから聞いたお話をもとに、自分自身と出逢う旅へと水澤も向かおうと思う。

 

沖縄の今と過去を映しだすことで見えるものとは?

ドキュメンタリー映画「岡本太郎の映画」の試写会の様子。約70名が、太郎さんと自分自身を探しに往く旅へと出かけた。

 

試写会がはじまる夕暮れどき。試写会が行われた沖縄県那覇市にある桜坂劇場では、沖縄生まれ沖縄育ちのかたや、沖縄に惹かれて移住してきたかたなどで満席となりました。

 

「岡本太郎の沖縄」には、岡本太郎さんが当時、久高島で撮影された司祭主・久高ノロさんの姿をもとに、そのご家族へのインタビュー。そして、沖縄テレビがこれまでに撮影してきた島の神事「イザイホー」での儀式のひと場面など。

さらに現在の読谷村にある闘牛場や、芭蕉布の里・大宜味村喜如嘉に住む人間国宝、平良敏子さんの姿など、過去と今を交差させながら、約2時間30分の濃密な時間が過ぎていきました。

試写会の参加者からは、「僕は、過去を知らなすぎた」と素直な気持ちを述べたり、「過去から現在へとループするような感覚があった」と語るひとも。

試写会を終えて、映画監督の葛山喜久さんと沖縄テレビでプロデューサーの山里孫存さんのトークイベントに続きます。

イザイホーとは

当時、久高島では三十歳から七十歳までの女性はすべて神事に参加する習わしがあった。そして一二年に一回、牛の年に、新しいナンチュ(神女)を資格づける厳正な儀式が行われた。

ふたりを紡いだ「久高ノロ」さんとの出会い

映画製作での裏話を語る、プロデューサーの山里孫存さん(写真左)と映画監督の葛山喜久さん(写真右)

山里孫存

もともと、僕と葛山監督は沖縄と名古屋で、「岡本太郎と沖縄」の原案を考え、企画に落とし込もうと動いていました。とある日、「久高ノロさんが映っている写真からインスピレーションを受けた企画があるんですが」と、葛山監督から僕たちの会社に電話が掛かってきて。

 

葛山喜久

まさか、山里さんも久高ノロさんからインスピレーションを受けているとは……当時は知りませんでしたね。でも、二人で会ってみて、お互いに共通していたのが、太郎さんだけを抜き出しても、太郎さんは見えてこない。

つまり、製作者のわたしたちが、今の沖縄をソフトとしてインストールしないと、太郎さんも沖縄も立ち上がってこないじゃないかな。

だから、岡本太郎の沖縄では、久高ノロさんのお子さんや親戚といった家族へのインタビューをはじめ、太郎さんが直接行っていないであろう、2016年当時の「農連市場」や人間国宝の平良敏子さんを追いかけたドキュメンタリーを入れてみたんです。

山里

あと、久高島で行われていた”イザイホー”に参加していたおばぁが登場したかと思いますが、「たくさんの見学者がいても、儀式の最中は周りが見えない。あとから、ふつふつとイメージが広がって、宇宙に一体になる感覚があるんだ」とおっしゃっていて。

山里

それは、岡本太郎が語る「芸術は爆発だ」につながるじゃないかと。おこがましいですが笑 沖縄で今を生きるかたの感覚そのものを映像として伝えることで、太郎さんが立ち上げてくると思うんですよね。

観客に委ねることで生まれる「渦をまく」ことを信じて

 

葛山

わたしたちが太郎さんの足跡を辿りながら、素直に感じたことを大事に。「岡本太郎の沖縄」というフィルターをかけて、あとは皆さんがどう感じるのか、委ねる気持ちで映像を撮っています。

山里

そういえば、映像にするにあたって、太郎さんが沖縄で歩んだ地域はすべて撮影しているんだよね。糸満とか。

葛山

そうそう。ただ、太郎を追いかけるドキュメンタリーではなく、「自分自身が再発見する沖縄」がメインなので。

本作のパンフレットの表紙でもある、太郎さんが喜如嘉で撮った写真。たまたま、人間国宝である芭蕉布づくりの平良敏子さんが映っていました。幼少期のときで、モノクロでね。

写真上が今回の映画で撮影したワンシーン。下が実際に岡本太郎さんが撮影した喜如嘉の写真。どちらにも平良敏子さんが映っている。

 

葛山

だから、今もお元気でいらっしゃる敏子さんの1日を追ってみて、彼女から「人生の縮図」がみえてきて、それを映像として落とし込むことができたかな、と。こうした人との出会いや機会をふまえて、本当の沖縄とは紡いでいく、繋がっていく文化なんじゃないかなと、わたしたちは思うんです。

山里

太郎さんは、当時、喜如嘉から滅びいく沖縄を見たと語っていましたが、僕らが取材にいくと、もっとも変わらない沖縄がそこにあったんです。

沖縄生まれの僕は、太郎さんにいわゆる外から見た沖縄を「恋」として表現してもらいました。だから、そのお返しとして本作をきっかけに今の沖縄へ刺激を与えたい。

岡本太郎は「シャーマン」であり、「ラブレターを返したい相手」?  両極端にいる二人へのインタビュー

おきなわマグネットでは、「岡本太郎の沖縄」を沖縄の文化を知るきっかけにしてもらいたい。そう思い、葛山監督と山里プロデューサーにさらに深く聞いていきました。

水澤

ポスターにも書かれている、「それは私にとって、一つの恋のようなものだった」。そして、山里さんがいう、お返ししたい気持ちが素直にいいな、と。その思いの背景から聞きたいです。

山里

太郎さんは、実際、沖縄には約10日間しかいなかった。でも、僕が沖縄文化論を手にとってみて、本の単末に「本土こそ、沖縄へ復帰すべき」と沖縄に住む人へ強いメッセージを寄せていて。

僕も何十年、沖縄に住んでいて、太郎さんがそんな言葉を残しているなんて知らなかった。だから、その思いに応えたいと本作を進めてきたのが動機なんです。

葛山

まさに、太郎さんから沖縄へのラブレターだよね笑

山里

そうそう。初版のときは気付かなったけど…でもちゃんとお返事を書かないと、そう思ったんです。

葛山

わたしは、久高ノロさんを映した写真と出会ったのが衝撃でした。まるで、モナリザがこっちを微笑んでいるような感覚でして。

芸術家である太郎さんは、僕らの人生の先駆者でもあって。その彼が、沖縄のシャーマンである久高ノロさんを映していることに意味があるんじゃないか、とね。

山里

葛山監督は、どんなときでも久高ノロさんが映っている写真集を持ってきましたよね笑

葛山

本作でナレーションを務めている井浦新さんに、キャスティングを依頼する際にも、一冊預けていますから。久高ノロさんは、沖縄そのもの存在と感じていて、その瞳に、太郎さんと岡本敏子さんが映っていた。

だから、本編でも久高ノロさんは主役でもあるんじゃないか、と思いつつ撮影に臨んでいました。

葛山

御嶽もそうで、素晴らしいディープな沖縄は目の前に転がっている、でも沖縄に住んでいる人たちさえ気づいていない、と太郎さんは言っています。

山里

僕たちは、こうした真逆のアプローチでしたが、とはいえ一人で作ったら完成しなかったと思う。お互いに、「こうしたほうがいいんじゃないか」とバチバチっとやりあったからこそ、「岡本太郎の沖縄」はうちなんちゅーにも、沖縄県外にも、両方に楽しんでもらえるバランスを得たドキュメンタリーになったんです。

観光コンテンツとしての「岡本太郎の沖縄」

水澤

すでに、大阪公演、東京公演が決まっている本作ではありますが、沖縄を離れた地でどんなことを感じてほしいのか。観客に委ねるとはおっしゃっていましたが……。

葛山

沖縄に何度も来ているかたや、ゆくゆくは沖縄の風土や文化が好きな海外のかたにも見てもらいたい。そのために、もう一人のメンバーに頑張ってもらっています。

こっち、こっち、新里くん。来て!!

沖縄テレビ開発の新里一樹さん(中央)

新里一樹

こんばんは、一緒に映画制作の進行を務めた新里です。本作は、沖縄のただの映画で終わらせるのではなくて、観光のコンテンツとして知ってもらいたい。そう思い、わたしも関わらせてもらいました。

沖縄観光コンベンションビューローさんにもご協力をもらい、海外観光者向けにパンフレットを制作したのですが、観光ではわからない沖縄を。そして、太郎さんを媒介にして、自分自身を再発見するための初年度になれば。

こうした、今までにはない、違った沖縄の良さを再定義できたらと思いますね。

葛山

御嶽に対する背景や、お祈りするにあたってのモラルとかね。この映画を通して、20年、30年後の沖縄にもつながっていけばいいな。

山里

もちろん、沖縄から離れているうちなんちゅーにも、「沖縄のなかに忘れられた日本を見た」という言葉を受け取ってもらい、それぞれが本作から答えを持ってもらえれば。答えを出していないので、それぞれの答えが沖縄に帰ってくること、楽しみにしています。

自分自身を探す旅として 自分自身を再定義する

10月27日から、「岡本太郎の沖縄」は桜坂劇場にて一般上映されます。葛山監督が何度も語る「自分自身を知るために」、深い理念を感じました。わたしに限らず、視聴したひと自身が本作から感じたことは一生涯の宝物になります。

岡本太郎さんを知っているかたも、知らないかたも。本作を通して、太郎さんを媒介に、沖縄を、自分自身を見つめ直してもらえたらと思います。

 

 

●岡本太郎の沖縄

URL:http://okamoto-taro.okinawa/
場所:桜坂劇場
公開日:2018年10月27日(土)〜
お問い合わせ先:098-860-9555
SNS:Instagram