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今までの当たり前が違法になる?沖縄の刺青文化「ハジチ」から考える、タトゥー裁判やマイノリティの表現の自由について

水澤 陽介

2018.05.11

トォントォントォン

タタウ

水澤

これが、タトゥーか!!

トントンと、音にならないリズムを刻みながら、女性たちの指先や手の甲、手首にかけて黒いスミをつけた針でデザインが描かれる。沖縄にははるか昔、琉球王国時代から、こうした刺青文化「ハジチ」がありました。

沖縄の刺青「ハジチ」とは

「ハジチ」とは琉球王国時代から明治末期まで、沖縄で広く行われていたいわゆる女性の刺青であり、沖縄固有の風習である。 竹針で突いて墨を入れていくことから漢字では「針突(ハジチ)」と呼ばれており、その職人のことを「針突師(ハジチャ―)」と呼ばれていた。

このハジチとは女性が結婚をすると手の甲、指、ひじに刺青をする習慣があり、いわゆる「成女儀礼」を意味している。結婚するとハジチをいれるという風習もあったが、13歳ころから少しずつ刺青を増やしていき、婚約したらその文様を完成させることも行われていた。

参考:沖縄の歴史文化深掘り研究

刺青の模様は、首都(琉球王朝)に距離が近づくほどにシャープになる。そして、既婚者に、また若いうちに「ハジチ」が行われてきたなど、さまざまな通説があるなかで、沖縄に住む女性の手にはたしかにタトゥーが刻まれてきた。

参考:恩納村ハジチ調査報告書

水澤

い、痛くないんですか…?

亜鶴

うん、いたくないよ

そう応えてくれたのは、現代美術家の亜鶴さん(右)。彼の手に、たくさんの人の期待をのせてハジチが彫られていきます。

今回訪れたのは那覇市大道にオープンした共同制作スペース「BARRAK 大道」。

ここでは12月3日から17日まで”移民と観光”をテーマにした現代美術展「自営と共在」が開催されており、その中で「タトゥー裁判とマイノリティの表現(シンポジウム)」の企画者である亜鶴さんの提案によってハジチが再現されました。

2016年の終わりにハジチを入れた方がお亡くなりになったことで、沖縄ではハジチの語り部が途絶え、刺青文化がなくなりつつあります。そんな中、今回のイベントではハジチが再現されることとなりました。

とはいえ、刺青やタトゥーと聞いてもピンと来ないかたも多いでしょう。欧州など海外では一般的になりつつあるタトゥーですが、まだまだ日本ではタトゥー禁止の温泉や銭湯も多くまだまだその文化が広く認められているとはいえません。しかし、どんな伝統文化であっても、なくなってしまうのは寂しい。文化が消えていくことで、以下のようになってしまうと私なりに考えます。

ただ、「文化がなくなったら、暮らしにどう影響するの?」と思う人がいるかもしれません。文化から得られるものやタトゥー文化に向き合う人たちの姿をシンポジウムで追ってきました。

気鋭の弁護士とジャーナリストが語る「タトゥー施術は医療行為」がおかしい理由

タトゥーは、医療行為にあたるのか

3部構成のシンポジウムでは、その焦点をめぐって2015年から争われている(*1)タトゥー裁判。そして、2017年9月に(*2)大阪地裁で下された「タトゥー施術は医療行為」と結論づけられた有罪判決をふまえて話しが進んでいきます。

(*1)2015年4月以降から、大阪府警はタトゥースタジオや彫り師たちが行うタトゥー行為(針先に色素を付けながら、皮膚の表面に墨等の色素を入れる)は、医師法上の「医行為」にあたるとして罪(罰金)を問われてきた。

(*2)大阪地裁は、刺青によって細菌やウィルスに感染したり、金属アレルギーを生じたりする可能性があるとして、タトゥー施術を「医師が行うのでなければ保健衛生上の危害を生ずるおそれのある行為」と判断した。

第1部では、タトゥー裁判の主任弁護人である亀石倫子さんと、ジャーナリストとしてタトゥー裁判を取材してきたBuzzFeedの神庭亮介さんが登場して、「タトゥーは医行為に当たらない」ことを解説します。

GPS捜査を違法とする最高裁判決を勝ち取り、またダンスクラブの風営法違反事件で無罪判決を得るなど大きな実績をもつ亀石さんは、タトゥー裁判を弁護する経緯についてまずはじめにこう語ります。

亀石さん

被告から裁判の相談をもらったとき、私は「おかしい」と感じました。これまで、彫り師の仕事に誇りを持ち、タトゥーの施術を行うときだって衛生管理を徹底してきた。それが急に、医師免許がなければタトゥーを行えない、犯罪行為だといわれて。

ここで、罰金を払ってしまうとタトゥーを行うことが医業であるという、規制事実を認めてしまう。被告から伺っていくうちに、私は動くことを決めました。

仮に、タトゥーを医行為と認めると、彫り師たちは医学部のある大学に通い、医師免許を取得するまでに、長い年月と費用を強いることになります。

亀石さん

タトゥーとはなにか?をはっきりさせないとね。今のままだと、彫り師たちは日の目を浴びられなくなるし、海外に行かざるおえない。どこかで(*3)趣旨について戦わなければタトゥー文化はなくなってしまいます。

(*3)弁護団は、医師法で定める医行為ではなく、憲法上で定められている「職業選択の自由」や「表現の自由」、タトゥーを入れたい人たちの「幸福追求権」(自己決定権)と訴えている。

タトゥーが医行為に該当しない理由として、「立法者の意思」「地方の立法者の意思」「裁判所の判断」「行政の判断」「学者の意見」「医師の意見」「一般人の意見」から説明する。

タトゥーに関して、諸外国ではライセンス制や衛生上のガイドラインが用意されるなど、日本のように法整備が追いついていないわけではない。

タトゥー裁判を取材してきた神庭さんは、2014年に(*4)風営法裁判で無罪判決を受けた事例を出しながら、「人任せにはしてはいけない」といいます。

(*4)2012年4月に、大阪で老舗クラブが「無許可で客にダンスをさせた」として摘発された。2014年4月に大阪地裁で一審が行われ、被告に無罪が言い渡された。最高裁でも同様に無罪が確定された。

神庭

風営法裁判を取材してきて、ダンスクラブの経営者が罪を問われたとき、他のクラブ経営者からは、『グレーはグレーのままでいい。裁判などで騒いでしまうと白か黒がはっきりする』と批判的な意見もありました。

タトゥー裁判もそう。でも、裁判で争われているなかで、タトゥーが今までのようにグレーのままではいられません。ホワイトになるように法制度を持っていき、彫り師たちをサポートしていく仕組みを考えたいと思っています。

タトゥーとダンス、本当にグレーな文化なのでしょうか。風営法裁判では、坂本龍一さんやいとうせいこうさんらがダンスクラブの規制撤廃を求めて署名活動を行なったことも、無罪につながりました。

それに比べて、タトゥーに関心を示す人たちが極めて少ない。さらに、インターネットの発達によって、「青少年にはタトゥーが有害だ」「不謹慎だ」「犯罪の温床になる」「社会秩序が乱れる」といった感情論が優先されてしまうことに。

こうしたインターネットによって可視化されたいい意味でも悪い意味でも“ほっておけない”想いこそが、タトゥー文化への取り締まりを後押しされているのです。

亀石さん

日常生活の中で感じることを、すごい抽象的な固定概念や不安によって判断をされているのではないのでしょうか。誰かに迷惑をかけていない行為なら、ほっておけばいいと思う。

例えば私にも届くんです、これまでの裁判上での身なりについて匿名で『弁護士ならふさわしい服を着ろ』というメールがね。いやいや、大人なんだから好きな服を着てもいいでしょと(笑)。

神庭

しかも、タトゥーを入れたりタトゥーを彫ったりする行為は、個人間の領域ですよね。その行為によって、誰が不幸せになるわけではない。タトゥーを通して、誰かが幸せになると反比例に誰かが不幸せになる社会でもないし、ハッピーの総量が増えていくほうがいいはずですよね。

亜鶴さんの手に施されたハジチの仕上がりをみて、微笑む亀石さん。

相手の立場になって考えてみることで、マイノリティにも寄り添えるようになる

左:遠迫憲英さん 中央:大島托さん 右:亜鶴さん

第2部では、岡山市内で精神・心療内科「HIKARI CLINIC」の院長を務める遠迫憲英医師さんと、東京都新宿で縄文タトゥーを手がけるトライバル・タトゥー「アポカリフト」の大島托さん(彫り師)の両名の話しに続きます。

大島さんは、本来黒一色の文様を刻む「トライバル・タトゥー」や「ブラックワーク」を専門とするアーティスト。

ハジチを掘ることは専門外と微笑みながらも、「沖縄からハジチがなくなるのはもったいない。刺青文化としてみれば私たちはチームです。沖縄から届くはずのバトンがいつになっても届かないから様子を見にきました」とシンポジウムへの出演を快諾。

まず問われたことは、「タトゥーは、医療かアートか」。

タトゥー裁判は、BuzzFeedのようなWebメディア以外にも、マスメディアにも取り上げられ、キャッチなー見出しが躍りました。しかし、登壇した3名は、タトゥーは医療かアートか、で捉えることに疑問を持っていると話します。

亜鶴

僕は、“タトゥーはアート”として捉えることに違和感を覚えますね。なぜなら、『アートだから、タトゥーは無罪』という論調は、アーティストたちをどんどん社会から離れた存在にさせ、いつか排除されてしまう可能性があるのでは、という怖さがあるんです

精神科医の遠迫憲英さんも、自身の体にタトゥーを入れた一人です。当時の様子を思い出しながら、「タトゥーは、医療かアートか、で捉えられるものではない。刺青によってしか体験できない世界があり、プリミティブで、先進的な文化です」といいます。

遠迫

私も、タトゥーを入れてみてわかったことがあります。もともと私自身、つらい体験が重なり、その苦しさを忘れたくないとタトゥーを入れました。が、想像以上の痛みにびっくりしたことを覚えています。

なぜ、こんなことをはじめたのか?』と自問自答しはじめ、次第に悲観的な気持ちを昇華させながら自分に落とし前をつけていく。その感覚から、私なりの答えを見つけることができたんです

加えて、遠藤さんはタトゥーを入れたことで、HIKARI CLINICに訪れる患者の気持ちがわかるようになったといいます。

遠迫

私の仕事上、精神障がいを持つ方と向き合うことが多い。過労やうつ病、精神障がいにカテゴリーされる人たちと対面してきて、精神障がいになりたくて、なっている人はいません。

だから、タイミングが違えば向こう側にいたのは自分かもしれない。だから、お互いに入れ替わって考えることで、マイノリティと呼ばれる人たちにも寄り添えるんです

大島さんが行なったハジチは、奄美大島に伝わる「ヤドカリ」のデザインだという。過去、人が亡くなったときに風葬する文化があり、ヤドカリや蝶が死体に群がってくることから人からヤドカリへと霊力を宿していくという言い伝えがある。

亜鶴

僕は、リストカットを行う女の子の気持ちはわかるし、理解できる。といっても、それは不幸の象徴ではないし、彼女たちはそう思っていない。私も、タトゥーも同じくネガティヴな気持ちでやっているわけではない。

テレビを見たり、歌をうたったりするベクトルにタトゥーがあって、痛みを耐えることで一段上のレイヤーが見えてくるんです

46歳になってからはじめてタトゥーを入れた遠迫さん。子どもへの告白、そして家族の受け入れがタトゥーを入れることをついて後押しになったという。

タトゥー文化になくさないために、当事者の気持ちだけではなく、周囲の理解も必要といえます。2016年12月と2017年7月に、遠迫さんがHIKARI CLINICを開放して、患者さんにも、音楽フェスやタトゥーを楽しんでもらおうと「HIKARI FESTIVAL」を開催しました。

Hikafes オープニングは神闘歌のライブから!いつものクリニックが一気に異空間に変貌します。
#HIKAFES

HIKARICLINIC&COCOONさんの投稿 2017年7月18日(火)

 

そこで、遠迫さんは患者さんにタトゥーを行なっていることを告白。すると患者さんからは好意的に受け取ってもらったといいます。

遠迫

医者が自由にやっているなら、もっとあなたたちも自由にやりなさいよといいたいんです。

「好きなものを禁止されたなら・・・」想像力を働かせることで社会はもっとよりよくなる

第3部では、シンポジウムに登壇した5名(左から大島托さん・遠迫憲英さん・神庭亮介さん・亀石倫子さん・亜鶴さん)が集まり、タトゥー文化のこれからについて議論した。

はじめに、亜鶴さんはシンポジウム開催に当たり、知り合いの彫り師からタトゥー裁判について意見を聞いたそうです。

亜鶴

友人の彫師からは「タトゥーに関する法律が新しくできたら、講習やライセンスを受けにいくと思う。でも、現時点では医療と同等のラインの制度が提示されても、きっと私たちにはわからないし、期待したものではないよね」というリアルな声を聞きました。

当事者である彫り師でさえ期待と不安を抱える人や、どこか他人事のように聞く人など意見がわかれています。その意見に対して、悲しさを感じると亀石さんはいいます。

亀石さん

彫り師の外側で法律が決められて、それによって立場が決まってしまう。

選挙にいかないのに文句をいうのと一緒ではない?法律を決めている議員たちとディスカッションして、自分たちの納得する制度にしていかないと。ここで、人任せにしたらダメです!

ここまで、タトゥー裁判で騒がれる中で、タトゥースタジオや彫り師たちが1つにまとまりきれないだろう、と不思議に思う人もいるかもしれない。

1995年に旅先のインドでタトゥーに出会ってから、いままでタトゥー文化を見てきた大島さんはこう語る。

大島

1990年代に本当は片付けるべき問題だったと思う。当時、タトゥー雑誌が10誌以上あり、ユニオン(組織)化していました。いまは、タトゥーマガジンは0です。当事者をまとめていたものがなくなったところから、お互いの意識が薄れはじめたんです

神庭

風営法裁判は、議員たちから『当事者の顔が見えない』と何度も言われてきました。タトゥーによって流派や結束力が異なり、難しいかもしれません。が、当時者や関心を持つ人たちが1つにまとまって声をあげないと国には届かない。

先ほど遠迫さんがおっしゃったように、例えば誰かの好きな趣味や仕事に置き換えてみて、『明日からそれは違反だから』と言われたらなら……。想像してみてほしい、こうした息苦しさなら共有できるかもしれません。

私にも“もしも”のことがいつ何時起きうる、万人がそうであるように。一方で、そう思えないのは想像力が低下しているのではないかと亀石さんはいいます。

亀石さん

私が大学で裁判について話しをしたところ、『僕たちの世代は自由にすればいいと逆に困るんです』という言われて。いろんな方が決めて、誰かに管理されたほうが楽でいい、と。

遠迫

多様性がある社会になって、それに耐えきれない層がいる。自由にいることが、当事者によって面倒臭いという反動を生まれているんじゃないのかな。

大島

さまざまな自営の在り方が共存する社会で、自由でやっていくために決意が必要です。まさに自営と共在ですね。

質疑応答の時間を設けられ、シンポジウムの参加者からは「彫り師の意識」について質問が挙がった。

法律の感覚でタトゥーを語られるのは違和感がある」と大島さんが語るように、彫り師の意識には、国に認められたくないことが強く顕在しています。でも、タトゥー文化をより理解したい人に対して、どんなことができるだろうか。

遠迫

精神障がいの問題もそうで、オープンにできたらいい。障がいをわかってもらったほうが受け入れやすい。病気であることをカミングアウトすることで、居場所が生まれたり、よりよい社会ができてくるじゃないかと思う。そのために、オープンにできる社会をつくれたらいいですよね。

無理にあれこれ定めなくてもいい、そんな寛容さが沖縄にはあるかもしれない

シンポジウムでも問われてきた、タトゥーや他の文化に対しても”オープンな社会“にするために、沖縄に住む私たちはどうすればいいのか。「自営と共在」を開催したBARRAKの手塚太加丸(左)さんにも伺った。

手塚太加丸さん。1990年屋久島生まれ。現在は、屋久島と沖縄の2つの場所を行き来しながら活動を展開している。主な活動として、屋久島の白川山にかえり続けるプロジェクト「しらこがえり」を2013年より展開中。

手塚

タトゥー裁判とマイノリティの表現のなかであったように、今はなぜかタトゥーや障がいを持つ人たちを明文化して、明快にしないと納得できない、健全潔白な社会になりつつある。そう感じました。

でも、わからないものはわからないままでいい。私も、BARRAKで作品を作ったりするとき、わからないものをわからないまま、やり抜くことをやる。そのことを大事にしています。

水澤

わからないままやり抜くことは、いまのご時世むずかしいと思います。ただ、沖縄ならできることでしょうか。

手塚

わからないまま、やっていけると言い切れるのが沖縄の良さだと感じています。それは、沖縄の人たちの許容さであるし、地理的にも日本を見ていなくてもいい。アジアをみてもいいですよね

水澤

たしかに島であることも関係するかもしれませんね。

手塚

いい意味で、ある程度無視をしていられるのが沖縄ではないでしょうか。そのために、とにかく新しいことにチャレンジして、自分を更新していかなきゃと思いますね。

そのなかで、どこかに視点を定める必要はないし、もしかしたら2,3年後に答えが見つかるかもしれない。私なりの勘を頼りに道を進んでいるところです。それが結果として、アートとは異なるもの、何が生まれるのか楽しみです。展示の制作者や今回の参加者にも考えるきっかけになればと思います。

定めないでいい、それが沖縄の良さ。展覧会の入り口から屋上まで連なるやんばるの木を使った制作物にもその想いを感じることができました。

BARRAKの1階から・・・

2階、

3階、

4階、

屋上へと連なるやんばるの木。

横でも、斜めでもない。上に上に伸びていくさまは、まさにどこにも定まらなくてもいい。沖縄の行く末を暗示しているものではないかと感じさせるものでした。タトゥー文化もBARRAKも今はたとえわからなくても、どこかに答えがあると信じて。

BARRAK 大道
住所:沖縄県那覇市大道35-5
https://www.facebook.com/BARRAK.203/