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沖縄との出会い
わたしの沖縄の最初の記憶は20年前にさかのぼる。
うっすらとほこりをかぶったアルバムをそっと開くように、記憶の奥深くをゆっくりを引きだしてみると、幼いころに家族で訪れた沖縄の風景がひとつ、ふたつと浮かび上がってくる。
当時、小学校にもまだ入学していないような、やっとこさ海とプールの違いが分かるような年齢のわたしには、波打ち際で遊ぶことがやっとだった。
ましてや、沖縄の海の色が自分が育ってきた福岡の海の色とは違うだとか、今いる場所が沖縄で福岡から東京ほどの距離を離れた場所だとか、そういうことは幼いわたしには少し難しかった。
沖に行くほどどんどん深くなる海が少し怖かったわたしは、なんなら海よりもプールで遊びたがっていたし、もちろん、深いところまで遊びに行こうとはしていなかった。
それでも、きっと子どもながらに「楽しい場所だ」と思っていたのだろう、次の年の夏休みも親にねだって沖縄に連れてきてもらった。
そうやって記憶の中のアルバムのページをめくっていると、ふとみつけた言葉。
それは、グラスボートで海の中をのぞいたときに見た、これまでに見たことがないようなカラフルな魚たちの名前だった。
うっすらと船にはってある写真を見比べながら「このお魚の名前は…」と父と答え合わせをしていた記憶。その中で「この魚の名前可愛くて好きだな」と、父がそういった名前の魚を必死に探していた、そんな魚たちの名前を20年たった今でもなぜかはっきりと覚えている。
#沖縄との再会
沖縄との再会は小学4年生の時。
研修旅行で久しぶりに訪れた沖縄は、海がきれいで、空が青くて、そして暑かった。
昔に比べたらいろいろなことが分かるようになったわたしは、昔訪れた沖縄のかすかな記憶と照らし合わせながら、深い場所まで遊びに行けるようになった海でせいいっぱいはしゃいだ。
研修旅行ということもあり、自由行動はあまりなかったけれども、現地の人との交流会で沖縄にたくさん友達ができた。初めて、住んでいる場所から遠く離れた地で友達ができた瞬間だった。
メールもなければ、携帯もなかった。もちろん「LINE」なんて便利なツールができるとも思っていなかった時代。海を隔てて遠い場所に住む友達と何度も手紙のやり取りをした。
沖縄のことをたくさん教えてもらって、福岡のことをたくさん話して…。
1度しか会ったことがないはずなのに、沖縄には数えるほどしか行ったことがないはずなのに、いつの間にかわたしの中で「沖縄」という場所が、どこか全く関係ない場所だと思えなくなっていた。ニュースで「沖縄」という言葉を聞くと、自然と体がテレビの方をむいていた。
友達からの手紙が待ち遠しくて学校から帰ったら、普段は見ないポストを確認したこともあった。
今になって思うと、わたしの旅人としての自分のルーツはきっと沖縄にあるのではないか。そう思うほどに、生まれ育った場所しか知らなかった小さなわたしの世界を大きく広げてくれた場所だった。
たくさんの仲間と出会えた研修旅行。わたしはこの後も同じ研修旅行に何度も参加した。
「次の夏がやってきたら戻っておいで」
そう研修旅行のテーマソングの歌詞にあるように、沖縄はわたしにとって夏になると戻ってくる場所になっていた。
#大人になって訪れた沖縄
大学生に入ってからはしばらく訪れる機会がなかった。そんな懐かしい土地に再び足を踏み入れたのは、24歳の時。最後にこの地を訪れてから7年の月日が経っていた。
「大人」
もうそう呼べる歳になってしまったわたしは、初めて訪れた時よりも、久しぶりに訪れた時よりも、いろいろなことが分かるようになっていた。
この7年間、小学生が中学生になってしまうほどの長い時間の中で、わたしの中でたくさんのことが変わっていた。
高校を卒業して、大学まで卒業してしまった。生まれ育った土地しか知らなかったわたしは、沖縄以外にもたくさんの場所にでかけた。日本だけでなく、海外にまで。沖縄を皮切りに広がっていっていたわたしの世界は、気づいたら世界地図を描けるようにまでなっていた。
そのころのわたしは将来に悩んでいた。
就職浪人という形で、本来は働いているはずの時間を自分探しに充てていたわたしは、「自分がしたいこと」と「自分が幸せになれること」のはざまで、まるで寄せては返す波のように、どっちつかずに揺れていた。
今となっては、自分がやりたいことをするのが一番幸せだよ。と簡単に答えを出せてしまう問題を、明けても暮れても悩んでいた。もし違うと思ったら引き返したっていいし、また新しくスタートを切ることだってできるのに、「こうと決めたら死ぬまでこう」と自分を追い詰めていた。
このままだといけない。そう思ったわたしの足は気づいたら沖縄へ向いていた。
空港を降りた瞬間にわたしを出迎えてくれたのは暑い日差しだった。
九州では夏が終わろうとしている10月。大好きな夏がゆるりと秋へ色を変え始めようとしていた寂しさを、沖縄の日差しが埋めてくれた。
「ここにはまだ夏が残っていた」
思わず胸いっぱいに夏の空気を吸い込んだ。ともすればむせ返るほどの熱気が、体を内側から火照らせる。じわりと背中を伝う汗も夏に戻ってこれたことを考えると嫌ではなかった。
久しぶりの沖縄はたくさんのことが変わっていた。
国際通りには外国人観光客が増え、大きくてきれいなショッピングセンターができ、当時なかった新しいホテルもたくさんあった。
それでも変わらない風景もたくさんあった。
あたたかな笑顔で迎えてくれる沖縄の人、美味しいソーキそばを囲む楽しそうな家族連れ…。たくさんの笑顔や幸せがこの土地にはあふれていた。
そして、わたしが7年の月日を経て変わったことで変わって見えるものもたくさんあった。
白い浜辺で遊ぶ白波や、エメラルドグリーンの海、さわやかな海のにおいを運んできてくれる潮風。そして、ぽっかりと縦に長い夏の雲が浮かぶ深い青色の空。
昔のわたしは、ここまで海をきれいだと思っていなかった。
波打ち際では、波と追いかけっこしかしなかっただろうし、海からの風は髪をぼさぼさにして帰っていくから苦手だった。そして、夏の空がここまで深い青だなんて知らなかった。
時間が経つにつれて刻一刻と移り変わる海の表情をわたしはずっと見ていた。
海と浜との境界線が徐々にこちらへ近づいてきている様子は、まるで海がゆっくりと砂浜を飲み込んでいくみたいだった。さっきまで斜め上に出ていた太陽はいつの間にか目線の高さまで下がり、影の端はもう手が届かないところまで伸びている。
深い青だったはずの空は左手の方から暗くなっていっていて、右へと視線を移すと濃紺からオレンジの不思議なコントラストを描いていた。そしてコントラストの先には大きな丸いオレンジが海の上に浮かんでいた。周りの雲を燃やしているかのように光り輝く夕陽に思わず目を細めた。
最後、水平線に夕陽が消えゆくまでただ黙ってずっと海を見ていた。
この日沖縄が見せてくれた夕日が、この先の生き方に迷っていたあの時のわたしの背中を「自由に生きたらいい。自分の思うように生きたらいい」と、そう押してくれたような気がした。
そのあと、わたしはしばらく沖縄の地を踏めずにいる。
また、沖縄に行かなきゃ。春が散り、いつの間にかどこからか運ばれてきた夏のにおいがそうささやくようだった。
あの素敵な笑顔たちに会いに、エメラルドの海に会いに、沖縄の夕陽に「ありがとう」を言いに。
そっと、自分の中で大好きなこの地に再会を誓った。
2019年6月26日にRBCにて特別番組「おきなわMOSAIC」が生放送決定
おきなわマグネットが2019年4月から追いかけてきた「#残したい沖縄」プロジェクトではTwitter、Instagram両方で合わせて、5000以上のハッシュタグ「#残したい沖縄」を皆さんにご投稿いただきました。
それぞれ皆さんが残したいと思う沖縄の魅力をSNSで投稿していただいた内容を、2019年6月26日に放送される琉球放送(RBC)さんの特別番組「おきなわMOSAIC」にてご紹介いたします。
現代に生きる人々が、時代の変わり目にあって、何を大切にし、どのような沖縄を未来に残したいと願っているのか…
一人一人の思いをモザイクのように拾い集めて、新しい時代の「沖縄白書」を作るプロジェクト番組。新元号が発表される4月1日から投稿を募集し、6月26日のテレビ生放送に至るまで、琉球放送(RBC)では、テレビ・ラジオ・WEBで県内外、世界のウチナーンチュたちの「残したい沖縄」を紹介します!
ぜひお見逃しなく。
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