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お久しぶりです。沖縄在住芸人しんとすけの首里石嶺改め「首里のすけ」です。
突然ですが、皆さんはマスターズ甲子園というものをご存知でしょうか?
マスターズ甲子園とはざっくり言うと、元高校球児が甲子園で野球をする為に、各都道府県で各高校OB(任意参加)の地方予選を行い、勝ち抜いた高校OB達が甲子園に集い、試合をする大会です。
もちろん、皆さん元高校球児の現立派なおじさんで、家庭に仕事に大忙しなので、トーナメント戦ではなく、1チーム1試合限りの戦いとなります。
今回は、そのマスターズ甲子園に、我らがおきなわマグネットの粟國社長がOB会長を勤める浦添商業高校野球部OBが2年ぶり2回目の沖縄県代表として出場が決まりましたので、その様子を2泊3日にわたり、密着リポートしてきました。
今回僕と一緒に密着するのは、同期のうちなーぐち(いわゆる沖縄の方言)芸人じゅん選手。
選手といっても、何の選手でもないですが、顔が阪神タイガースの藤浪選手に似ているという理由で、同行が決定致しました。
前夜祭
2019年11月8日(金)兵庫県のホテルヒューイット甲子園にて、翌日から始まるマスターズ甲子園の前夜祭が行われました。
各地区代表のOB達が一同に集まり、親交を深めます。
浦商のほとんどのメンバーは開会式からの参加なので、前夜祭には、3名の参加でした。
OB会会長や、各スポンサーの挨拶など、前夜祭のプログラムが淡々と進行していき、皆に料理とお酒が行き届いた頃に行われるのが対戦校とのお土産交換です。
各高校OBごとに、マスターズ甲子園への意気込みを語って、各地元のお土産を交換致します。
浦商は、首里にある瑞泉酒造の10年古酒「おもろ10年」をプレゼント。
古酒独特の深いコクとまろやかな味が特徴です。
お返しに対戦相手、地元兵庫県淡路島にある三原高校から頂いたのは、 淡路島産のたまねぎダンボール1箱(10キロ分)。柔らかく甘い味が特徴です。
後に2次会で入った居酒屋で、「淡路島産たまねぎスライス」があったので注文したのですが、とにかく甘くて、たまねぎスライスにポン酢とかつお節をかけただけで、上質なおつまみとなります。
しかしこの時まだ我々は、三原高校との戦いが、淡路島産のたまねぎのようには甘くない事を知る由もありませんでした・・・
いよいよ開会式~からの前夜祭2
2019年11月9日(土)
いよいよ、開会式の日がやってきました。
前夜祭の参加者3名から一気に人数も増え、浦商野球部OBの参加者40名のほとんどが甲子園に集いました。
浦添商業は大会2日目の第3試合なので、メンバーの皆さんは世間話や昔話に花を咲かせ、穏やかなひと時を過ごしていました。
そして、毎年このマスターズ甲子園の開会式のアナウンスを担当しているのが、沖縄で活躍するフリーアナウンサー山内佑利子(通称やまゆり)さんです。
地元、兵庫県芦屋市出身のやまゆりさんは、神戸松蔭高等学校3年時にNHK杯全国高校放送コンテスト全国大会で最優秀賞・文部大臣賞を受賞、また同コンクール兵庫県大会のアナウンス部門で優勝したことから、高校3年時に夏の甲子園・第79回全国高等学校野球選手権大会の開会式司会を務めました。
今では当たり前の、甲子園の開会式で高校生が担当しているアナウンスですが、実は、始めて高校生がアナウンスを担当したのは、やまゆりさんが初代となります。
しかも、第79回全国高等学校野球選手権大会の沖縄県代表は浦添商業高校。
運命を感じずにはいられません。
そんな運命をよそに、聖地甲子園といえども、参加しているのはあくまでもOBなので、現役の高校球児では起こりえないミスが起きるのも、マスターズ甲子園の見どころの1つです。
例えば、「開会式は皆白シューズで参加しよう」という決まり事があれば「死んでも守らないといけない」と考えるのが高校球児です。対するOBは
守らなくても死にはしない
と考えます。その結果がこうです。
そしていよいよ、やまゆりさんのアナウンスで開会式が始まり、僕たちはスタンドから見守る事になりました。
次々と各高校OBが入場行進を行います。監督なのでしょうか、チームメイトでしょうか、遺影を持っての入場行進を行う高校もいます。
そして、22年前の夏の甲子園開会式と同じく、やまゆりさんが
「沖縄県代表 浦添商業高校」
とアナウンスし、浦添商業高校OBは夢の甲子園で堂々と入場行進をします。
やまゆりさん曰く「マスターズ甲子園は、現在社長の人、平社員の人、元プロ、アマチュアなど関係なく、ユニフォームに袖を通したら、皆高校球児に戻るから面白い」と。
その言葉の通り、まるで皆高校球児に戻ったかのように目を輝かせて行進します。
現役時代、甲子園に出場出来た人、出来なかった人、レギュラーの人、応援団の人、マスターズ甲子園では全て関係なく、世代を超え皆で入場行進を行う事が出来ます。
開会式の後は、ご飯を食べて試合を見学する事になりました。
特に凄かったのは1日目第2試合の大阪府代表PL学園VS群馬県代表 利根商業高校の戦い。
特にPL学園は言わずと知れた超名門高校で、甲子園では春3回夏4回の優勝経験があります。
そのPL学園は2016年より硬式野球部の休部状態が続いている上に、今回PL学園OBがマスターズ甲子園初出場、しかもそのOB会長が野球界のレジェンド桑田真澄選手(読売ジャイアンツ-ピッツバーグ・パイレーツ)という事が重なり、久々に甲子園でPL学園の野球部を応援出来る事への熱が高まったのでしょう、ブラスバンド部、人文字での応援を含む、実に約1500名もの応援団が集まっていました。
そしていよいよプレーボール。
サイレン鳴る→ピッチャー第1球投げる→144km/hが表示される→スタンドがどよめく
という流れの後、
ピッチャー投げる→利根商業高校の先頭バッターが打ち返す→スタンドがどよめく→147km/hが表示される→またスタンドがどよめく
と、スタンドはどよめきが止まりません。
僕も、あれ?マジでレベル高いぞ?マスターズ甲子園って草野球の延長線上にある訳では無いのか?!とここで初めて気づきました。
その後も4回表からは、
桑田選手が投げる→スタンドがどよめく
4回裏には、
桑田選手が2ベース打つ→スタンドがどよめく
スタンドは終始どよめきまくりです。その試合を一緒に見ていたじゅん選手は
選手
あちゃーや、わったー2人やしが1500名んかい、負きらんぐーとぅーちばらなや!かんなじないんよ。ぬーが、桑田やてぃん、わーやてぃん、いぬむん選手やんむん
と言っていて、僕は意味が分かりませんでした。
その日の夜は次の日の試合に向けて、前夜祭が開かれました。2日連続前夜祭に参加するという貴重な経験をさせて頂きました。
粟國OB会長は
明日は勝ちを意識します。
沖縄から何をしに来たんですか?勝つためですよね?
と皆を鼓舞する言葉を投げかけます。
浦商野球部2期の皆さんが旅費を出し合い、甲子園に来ることが出来たという野球部2期マネージャーOGの内間文代さんは
みんな!ケガだけはしないように!ケガしたらもう治らない歳って事を意識してよ!
と、声をかける内容は変われど、昔と変わらず選手達の体を気遣う言葉をかけていました。
その後、前夜祭の2次会に行くことになりました。
そこには仕事終わりで、浦商野球部で大阪在住の柔道整復師、屋我 翔利選手(22歳)が、沖縄から招待した父親の平範さんと共に駆けつけてくれました。
翔利選手になぜお父さんを招待したかを尋ねると
選手
高校3年間、沖縄市から浦商まで送迎してくれたりと、応援してくれていたお父さんを甲子園に連れて行ってあげたかった。親孝行のひとつとして、一緒に甲子園に行くという目標を、マスターズ甲子園という形で一緒に叶えることができてうれしい。
と、目を輝かせて答えが返ってきました。
照れ隠しなのか、平範お父さんは
父
明日は俺が代打でランニングホームラン打つよ!ランニングって言っても下着のランニング(シャツ)を着てホームラン打つって事だけどよ!ガーハッハッハ
というレベルのダジャレを連発していました。これにはさすがの翔利選手も、試合当日だけ連れて来れば良かったみたいな顔になり、ダジャレ大好きじゅん選手も、ダジャレって言ってる方は楽しいけど聞いてる方はこんなにも辛いのか、みたいな顔になっていました。
このようにして、楽しく?夜は更けていき、翌朝を迎えるのでした・・・
浦商野球部forever~めーばー~
2019年11月10日(日)
宿泊しているホテルに、屋我選手親子に迎えに来て頂き、甲子園球場に向けて出発しました。
翔利選手が現役時代の頃のように平範お父さんが運転し、助手席に翔利さんを乗せて球場に向かいます。
甲子園球場に着くと、各々球場の周りでランニングやキャッチボールのアップをします。
マスターズ甲子園では、通常の野球の試合と違い、90分の時間制限があるので、球場ではすぐに試合を始めるため事前に体を動かしておくのです。
人一倍ランニングをしている古堅 勝也選手(46歳)に、なぜアップでそんなに走るのかを聞きました。答えは
「アルコールを抜くため」
でした。この理由もマスターズ甲子園ならではです。
そして、アップの後は、オーダー交換、記念撮影、ミーティングと段取りは進んでいきます。
そして、いよいよ聖地甲子園のグラウンドで試合前の整列と挨拶を行い、後攻の浦商ナインは守備につき、甲子園の土、芝のコンディションを確かめます。
90分という制限時間内で約40人の選手を出さないといけない粟國OB会長の
どんどん交代していくんで、指示が出たらすぐに動いてください
という怒号のような声に、ベンチにも緊張感が走ります。
いよいよプレーボールのコールと共に、試合開始のサイレンが鳴り響き、先発投手の與儀 一樹選手(26歳)が球を放り、テンポよくストライクカウントを稼いでいきます。
しかし、ランナーを1人出した後に甘く入った球を三原高校4番向江選手にランニングホームランを打たれ2点先制されてしまいます。
それでもそこは、さすがは甲子園通算10勝の浦添商業。そのすぐ裏の攻撃、ランナーを1人置いた場面で4番石川 大地選手(26歳)がレフトスタンドに弧を描く同点2ランホームランを放ち、これぞ4番の活躍でゲームは振り出しに戻ります。
これにはスタンドに応援に来ていた選手の家族の皆も大喜び。
じゅん選手は
選手
あのホームランボール、俺たちお母のスナックに飾りたいやっさー
と大興奮。
その後、翔利選手にも打席が回り、惜しくもヒットこそ打てなかったものの、翔利選手が甲子園でプレーしている姿に平範お父さんは
父
実は翔利は小学校の頃、友達と遊んでる時に三階から転落してしまい、頭を打ち脳挫傷になる大怪我をしてしまった事があるんだけど、それでも野球をしたいという事でドクターストップも乗り越え野球を続けて来た訳さ。その結果として甲子園でプレー出来てる姿を見れて本当に嬉しい。ちゃーなきーよ。
と、グラウンドを終始タブレットで撮影していました。
その後3回表に4点を取られ、3回裏以降は追う展開となります。
それでも4回裏には2日連続前夜祭メンバーの平良 佳之選手(36歳)のタイムリー3ベースなどで点差を縮め、5回表から登板の古堅 選手はアルコールを抜いた甲斐あり、しっかり相手打線を抑えて迎えた5回裏、
「ここがチャンスだぞ」
とひと際大きな声でスタンドから激を飛ばしている人物がいました。
名将盛根 一美監督(69歳)です。
長年沖縄県の高校野球を盛り上げ、浦添商業では1993年夏の甲子園初出場、1997年春の選抜初出場、同年夏の甲子園ベスト4まで導いた人物です。
実は盛根 監督は浦商野球部の初代監督で、浦商に赴任した理由は、野球部設立にあたり、監督になって欲しいという打診があったからだそうです。
浦商は「地域から追い出されそうなほど荒れていた時期があった(関係者談)」そうなのですが、その時荒れている浦商をどうにか立て直そう、という強い意志が学校側にあり、その切り札として、野球部設立が話に上がり、盛根監督に白羽の矢が立ったという事です。
野球部設立当時、古堅 選手率いる野球部1期生は「石ころ拾いのグラウンド作りから始めた」そうで、そこから1期生はメンバー全員1年生の「1年生軍団」ながら九州大会まで駒を進め、浦添商業野球部の名を一気に沖縄県に広める事になったそうです。
その1期生含む沢山の教え子が、当時の「浦商」のユニフォームを着てグラウンドでプレーするのを眺めている姿は、まるで大家族のお父さんそのものでした。その盛根監督の声援に応えるかのように、5回裏は知念 博之選手(38歳)、比嘉 哲政選手(41歳)、古堅選手の三連打に、仲間 誠選手(45歳)のタイムリーも飛び出し、当時の盛根監督の教え子達がスコアをひっくり返し、8対6と逆転します。
これには思わずスタンドのじゅん選手も
選手
この回ヒット打った人全員、わったーお母のスナックで上等ボトルサービスしたいやっさ!
と豪語していました。
しかしその後、6回表にこの日2本目のランニングホームランを含む4失点で逆転されてしまい、6回裏の攻撃は、惜しくも90分ルールの壁に阻まれ、3分の2を残しゲームセットで敗れてしまいました。
こうして、聖地甲子園での夢の90分は儚くも、しっかりと皆の胸に刻み込まれ幕を閉じました。
試合終了後のミーティングでは
90分ルールの壁に阻まれ、あと2人を試合に出す事が出来なかった事が勝ち負けよりも悔しい
と涙ながらに語った粟國OB会長。
2泊3日の間、浦添商業野球部OBに同行させて頂きましたが、このマスターズ甲子園2019の経験は世代を超えてOBの絆を深めるだけでなく、結果として現役世代のバックアップを手厚くする事に繋がってくるのだろうな、と感じました。
浦添商業野球部はきっとこれからもOB会や現役世代共に、前へ前へ前進していくと思います。
それはまるで、歯が前へ前へ前進している、じゅん選手のように。