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精神力、努力、知識、技術…宮古島での建築にすべて注ぎ込む 株式会社琉球経済開発 永山正人さん

ナガハマ ヒロキ

2019.03.11

ひとつのゴールに向かって汗水垂らしながら働く。完成した建物を見ながらみんなで労をねぎらう。現場は今も変わらず青春真っ盛り。

学校を造れば何十年先も場所には笑い声があふれ、家を造れば何十年先も家族の温かさが灯り、みんなの帰る場所になっていく。人々の未来のベースになる仕事って夢があると思うんです。

今回、足を運んだのは浦添に本社がある株式会社琉球経済開発。不動産売買を中心に賃貸、媒介、管理、建築内装、リフォームまで行う同社では、2018年に宮古島に事業エリアを拡大しました。

この日の仕事を終えて、自分へのご褒美としてビールを飲んでいる代表取締役の永山正人さんに、宮古島の可能性や仕事への想い、これまでの半生について多いに語ってもらいました。

宮古島の景気と共に、建築業は右肩上がり!

現在、宮古島の建築業はバブルまっただ中で、島を見渡すとリゾートホテルや行政施設、どこもかしこも建設工事中です。建築業と観光業から派生して、宮古島の景気は全体的に右肩上がり。

永山さん

私自身も、3年前に初めて宮古島でのホテル建設に携わりまして。そこで島の盛り上がっている経済状況を知ることになりました。建築業界は、石を投げたら現場に当たると言っても良いくらいです。 そこで、宮古島への商機を見出して、必要とされているならば展開しようと決めました。

私たちおきなわマグネット取材陣も宮古島行きの飛行機に乗った際に、機内で作業服を着た人たちがたくさん乗っていて、景気の良さを肌で感じていたところでした。
宮古島外からの働き手や移住希望者が増える一方、アパートやマンションの建築が需要に対して全く追い付いていない状況も発生しています。

永山さん

宮古島の建築業はとにかく需要が大きく、常に人手不足で。それ以上に驚くことに本当に住む部屋がないんです。家がないと働き手もいられないでしょ。

だから、私たちは真っ先に従業員が住む寮を作りました。さらに、働き手にとって重要な車、レンタカーも不足しているので、従業員が使うためにと用意して、生活の環境を整えましたね。

取材先の居酒屋の隣に、琉球経済開発の寮がある。

「自分の強みを伸ばすこと」 学生時代から今へと続く精神力と継続力

ビールを片手にお話しを聞く中で、若々しさと共に永山さんの目に宿る力強さ。
次は、どんな学生時代を送っていたのか聞いてみました。

永山さん

子どもの頃からウーマクー(わんぱく)で。とくに、中学生時代の多感な時期には、先輩に目を付けられ、いびられていました。強烈でしたよ。この時の悔しい思いが「将来は見返してやる」という気持ちにつながり、今の原動力にもなっています。

それから浦添商業高校に進み、野球漬けの毎日でしたね。当時、部員も120名いて、ずっとメンバーに入れずにいたんですが、自分の強みは守備と走塁だと考え、そこに特化した練習ばっかりしていました。最後の大会で、背番号をもらえたんです。この報われた経験は人生でも大きかったなぁ。

高校卒業後は、両親の家業として内装業を営んでいたこともあり、九州の大学で建築科へと進学。その後、そのまま地元沖縄へ戻らずに福岡の不動産会社に就職します。

永山さん

当時の福岡は沖縄と比べて、仕事に対する意識そのものが高かったですね。毎日、お客さんが考えることを汲みとって、どうすれば良い提案ができるのか。考えを深めていく日々を約3年間過ごしてきました。営業成績も良くて…そこで自分で出来ると思ってしまい、25歳で独立するんですよね。

若さあふれる当時を振り返り、苦笑いを浮かべる永山さん(右) 宮古島営業所所長の仲間剛さん(左)

はじめての独立から導く、永山式経営哲学

不動産会社で自信を得た永山さんは、ひとりで独立し、新たなフィールドで戦うことに。

永山さん

不動産会社勤めの時に、とにかく忙しくて。クリーニング屋さんの営業時間内にスーツを出す暇もなかったぐらいでした。だから、私みたいな働くビジネスマンにニーズがあると思って、夜中にも集配するクリーニング取次店を開きました。

最初は上々でした。が、だんだん売上は落ちていきましたね。今となっては、その理由も分かっています。独立したての時は、自分のアイデアを信じすぎて、周りの人の話をまったく聞いていなかった。あと、お客さんよりも競業他社のことばかり考えてしまって、今考えたら終わってるなぁって思います…。

ビジネスでの自省を繰り返し、永山経営哲学が確立されていきます。それは、「自社サービスの向上」と「意識の向上」、そして「人のためにやるのが一番の近道」ということ。

永山さん

これまでの私の歩みのなかで、たくさんの糧が得られました。精神力は中学で鍛えられ、努力は報われることを高校で信じることができ、知識を大学で蓄え、社会人になって技術を磨き上げた、という感じでしょうか。すべては今につながってくるんです。

建設のプロとして在りかたは仲間たち、お客さんへと伝播する

福岡を経て、永山さんが沖縄に帰ってきたのは27歳の時。一度は父親の会社で1年間働き、そこでノウハウを学んで事業展開を始めました。

永山さん

私としては、自分の事業アイデアが形になるのが嬉しいし、目標を決めてそこに進む事が好きなんですよね。弊社の『お客さまへの提案力』には自信を持っていますよ。基本的にはお客さまから頂いた要望通りには進めません。

私たちは、この業界のプロですので、要望を踏まえた上でさらに提案を差し上げることを意識しています。お客さんは知らなかったことを知れたと必ず喜んでもらえます。

伊良部島内の某建築現場での一コマ。

永山さん

お客さんとも協力しながら完成した建物を見た時は、格別な思いになりますね。建築主や施工主から頂く『ありがとう』の言葉、本当に嬉しいものです。あと、現場がきつければきついほど達成感はありますし。あ、やっぱそれはないな~!(笑) きつくないほうが良いな~!

ここまで、すべてが順風満帆なストーリーのようにみえますが、そうではありません。過去に、同時に数名の従業員が辞めてしまった時は、禁煙していたはずのタバコに火をつけてしまうほど苦しい時期もあったと永山さんは語ります。

永山さん

もっとコミュニケーションを取ればよかったな、と。コミュニケーションという基本があってからこそだと。それが無ければいくら私から想いを伝えようとしても届かない。

振り返ればあの時、メンバーをちょっと褒めるだけで、叱りはしていなかったかも知れません。人を育てる力が足りなかったかもな…今は褒めも叱りもします。従業員と距離を縮めて接していますね。建築と一緒で。従業員とのコミュニケーションという土台を築くことが一歩目です。

今後のビジョンですが、複数企業で建築に取り組むJV(ジョイントベンチャー)で、集合住宅などの規模が大きい物件を一棟丸々手掛けたいですね。

休憩の合間には職人同士で、家族のことも相談しながら談笑する。

所長の仲間さんにも話を訊いてみよう

ここで、ほろ酔いになってきた永山さんに代わり、宮古島営業所所長の仲間剛さんが登場!

元々は地元沖縄のスーパーマーケットで働いていた仲間さん。会社内では、独自で考えた販売方法を実践していました。しかし、数字で働く人を管理しないといけない経営方針に違和感を抱き、思い切って建築業界に飛び込みました。

仲間さん

43歳のときでした。学生の時にアルバイトで建築仕事はしたことがあるのですが、ほぼ素人。これが永山社長の父親の会社でした。

そのあと、事故と病気が重なって、身体にこれ以上無理はできないと、デスクワークができる仕事を探していたんですね。

その面接に行く途中に永山社長に出くわして、現場仕事はやらないって言ってるのに『働かない?』とまた声を掛けてきまして。

永山さん

もうこの時、ずっと人を探していたので。

仲間さん

それから1か月が経ちまして。自分もその面接に受からなかったので、永山社長に挨拶程度に電話してみたら『明日から来れる〜?』って言うから。

永山さん

早速、翌日から出勤してもらいました。今では所長を担ってもらっていますからね。仲間さんがいないと、もうこの会社は回らないほどです。

仲間さん

宮古島で一緒に働いてくれるなら、私は気長なほうなので、ゆっくりと一つひとつこなしていければ大丈夫。でも、『ゆっくり』と言ったら現場が回らないから社長が嫌な顔するけれども(笑)。みなさんの成長をバックアップしますしフォローします。

永山さん

やっぱり、私たちの仕事の魅力って、成果物が何十年も残るところ。そこに、人が集まっていき、色がついていくような。従業員の成長のように、長いスパンで宮古島に関わっていくものを作れるのは醍醐味ですね。

とはいえ、宮古島だと台風といった天候によって仕事が左右されることも。そこは自分たちで都合を付けながら納期と戦います。体力的にボロボロになった時に、お互いを労いながら飲むコーヒーが最高なんです。

最終的に取材はこうなりました。今日もお仕事お疲れ様でした。

求人情報

会社名 株式会社 琉球経済開発
雇用形態 正社員
募集職種 建設業 不動産業
仕事内容 主に内装工事 設備工事 電気工事 プレハブ 増築 改築 を行っております。お客様からの要望をを頂いて建築と不動産のプロとして提案をさせて頂きます。
勤務時間 8:00~18:00
休日 週休2日制 祝日 年末年始 お盆 
福利厚生・他 資格手当 技術手当
企業情報 株式会社 琉球経済開発
沖縄県宮古島市平良下里